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    <title><![CDATA[読み古し「紙表紙本」の倉庫的Blog]]></title>
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    <description><![CDATA[ペーパーバック・ウエアハウス店長の日々の悶々]]></description>
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      <title><![CDATA[Not a recluse... ]]></title>
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      <description><![CDATA[<div><font face="HiraKakuPro-W3">買い物はほとんど町の雑貨店で行い、一人で軽食堂で食事を取り、「あいさつにも気軽に応じる気さくな人」。自宅近くに住む子供と学校の話をし、自宅の庭でそりをしたいという頼みにも快く応じていた——<a href="http://www.nytimes.com/2010/02/01/us/01salinger.html" target="NewWindow">New York Times</a> が伝えるJ. D. Salingerの晩年の姿（引用は、同紙の記事をソースに書かれた本日付けの共同通信の配信原稿より）。とかくステレオタイプな人物造形を当て嵌められがちな含羞の人は、しかし、決して型に嵌まったrecluse（隠遁者）などではなく、極く普通の「もの静かな田舎の人」。翻訳の出版に際してあとがきや解説を併載することを拒んだり（村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』）、自身をモデルとする人物が映画に登場することを拒絶したり（W・P・キンセラの『シューレス・ジョー』を映画化した『フィールド・オブ・ドリームズ』）——と、いささか偏屈で、権柄ずくな性格さえ想像させる人物像は、そこにはいない。</font><br /><br /><div style="font-family: HiraKakuPro-W3;"> <img src="http://paperbackwarehouse.jp/images/00900.jpg" width="159" height="265" alt="The Catcher in the Rye" width="161" height="267" alt="The Catcher in the Rye 4th" style="float: left; margin-right: 10px; margin-bottom: 10px;" class=bordered border=0>思えば、The Catcher in the RyeがSignet Booksからペーパーバック化される際のあの有名なエピソードから浮かび上がってくるのも、健全な自己顕示欲に駆られた極く普通の文学青年の姿。Signet Booksの編集者であるVictor Weybrightと当時、同社の看板絵師だったJames Avati、そして同作の版権を保有するLb Booksの担当者と編集部の一角で向き合った若き日のJ. D. Salinger。四人による“小田原評定”は延々１時間半にも及んだとか。その議題とは？　James Avatiが描いたイラストをペーパーバックの表紙に使うかどうか。編集部の提案を頑として受け入れようとしない新進の文学士に対してJames Avatiが言い放った台詞——'Look,' I told him, 'you want your book to sell, don't you? Well, Signet is supposed to know how to sell books, aren't they? So, screw it, let's do it!' And we did it.（Paperbacks, U.S.A. by Piet Schreudersより）。<br> <br> お前さんは本を売りたいんだろ？　だったらシグネットに任せようぜ。シグネットはその筋のプロなんだから。そんな説得を受け入れるだけの社会性がそもそもこのrecluseには備わっていた。そりゃあ、幾星霜を重ね「耳順（六十而耳順）」「従心（七十而従心所欲不踰矩）」と呼ばれる年ともなれば（もっとも、J. D. Salingerの行年は「従心」を遥に超える91歳！）あいさつにだって気軽に応じるだろうし、子供と一緒にそり遊びだってするだろう。そんな実像が明されたことを、この作家のために、喜びたい。神話のベールに包まれて亡くなるほど、不幸なことはない……。<br> <br> <center>※</center> <br> 本日、当ブログのコメントシステムを「<a href="http://mitene.tv/comcom/petit.html" target="NewWindow">プチコメ</a> 」に変更。これまで使っていたHaloscanのコメントシステムが今月13日でサービを休止とか。ま、コメントなんて滅多に投稿されることがないんだから、この際、コメントシステムなしでやって行くというテもあるんだけれど、それだとちょっとカッコがつかない(￣.￣;)。いろいろ検討した結果、設置が比較的簡単でかつフリーで利用できると言う点（これがいちばん）に魅せられ「プチコメ」というiBlog専用のコメントシステムを使わせていただくことに。サーバに設置して運用するタイプなので、システムとして自己完結している点も魅力。ま、最新のver2.0が05年リリースという点についてはこの際、目を瞑ることにして（ちなみに、このブログの運営に使用しているiBlogも07年7月にVersion 2.0 RC 3を公開して以来、梨の礫）……。<br> </div></div> ]]></description>
      <pubDate>Wed, 03 Feb 2010 17:27:50 +0900</pubDate>
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      <title><![CDATA[Last words... ]]></title>
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      <description><![CDATA[<div><font face="HiraKakuPro-W3">オレはもう助からんだろうと思う。そう言ったのははっきりと聞こえたのだけれど、それにつづいて私の耳がとらえたのは、アメリカがどうとかこうとか。ああ、またうわごとを言っているのか。そう思いかけた矢先、「本というのはいいもんだ」「オレも本はたくさん読んだ」……そんな意味の通ったことばのカタマリが私の耳にもはっきりと聞き取れる。そして——「俊之は本屋をがんばれ。オレもがんばるから」。</font><br /><br /><font face="HiraKakuPro-W3">それが、1月4日の午前。その前夜、ほぼ夜通しで意味不明の言葉を発しつづけ父は、しかし、夜が明けてからは、一転して穏やかな表情を私たち家族に見せるようになる。そして、すでに死期を悟ったかのような冒頭の言葉と、それにひきつづく、私への“遺言”。午後、相次いで訪れた見舞客とも、会話こそ交わさないものの、相手が誰かを認識できていることは、目を見れば判る。しかし、この日の夕方の回診で、抗生物質等の投与にもかかわらず症状の改善が認められないことを担当医から告げられる。そのため、より強い抗生物質を投与するとの治療方針の説明を受ける。しかし、それでも症状の改善が見られない場合は——治癒は極めて厳しいと考えて欲しい。その場合、もって二三日……。</font><br /><br /><font face="HiraKakuPro-W3">そして、翌5日。朝一番の回診で、依然、症状の改善が見られないことを告げられる。最初に看護師長、次に担当医から「今日一杯」という宣告。担当医からは、ステロイドを投与する方法もあるとの説明を受け、判断を求められるが、母と相談の上、断ることに。この日も、父の実家などから数組の見舞客。しかし、前日のような目の力は見られず、訪問客が誰かを認識できているとは思えない。認識もされないまま、しかし、予定された式次第をこなすごとく順に見舞客は訪れ、この日のうちに、およそ訪問が見込まれる見舞客は一巡する。あたかもこれで準備はすべて整ったかのごとく。</font><br /><br /><font face="HiraKakuPro-W3">しかし、ここから、父は、がんばった。「今日一杯」と告げられたその日の昼は何ごともなく過ぎ、長く寒い夜もことさら家族や看護師の手を煩わせることもなく、平穏に、明ける。そして、朝の回診。若干ではあるが、数値の改善が認められることが担当医から告げられる。「強い人だ」。「抗生物質が効いてきたのかもしれない」。思えばこの日は母の誕生日。前日、ポツリと母がつぶやいた「あしたかも知れない」。それは、この日が自分の誕生日であることを十二分に意識してのもの。永年連れ添った夫婦だからこそ芽生える“予感”。妻の永年の労苦に報いるべく、せめてその誕生日をともに過ごすべく——。</font><br /><br /><font face="HiraKakuPro-W3">その日の昼も比較的穏やかに推移。時折、会話も成立する。正月に見せられて大喜びした甥っ子（父にとっては孫）の入学式の写真を見せ、誰か判るかと訊ねると、「判る」。そして——夕方の回診では、再び数値が悪化していることを告げられるものの、呼吸自体は比較的安定しているため、この状態で突然、呼吸が止まるとは考えにくいと言う担当医の見立てを信じて、その夜は、私も母も自宅で待機することに。もし少しでも変化が認められればすぐに連絡するという約束で。自宅から病院まではクルマで30分程度の距離。いや、交通量の少ない深夜ならばものの10分で飛んでこれる。万が一にも最期に間に合わないなどということはありえない——そう固く信じて。</font><br /><br /><font face="HiraKakuPro-W3">しかし、「今日一杯」と告げられたその日をやりすごすため、全力を尽くした父にもう余力は残っていなかったのか。看護師によれば、9時19分頃、容体が急変。緊急連絡を受けた私は、母を伴って病院へ急行。確かに、ものの10分で病院には着いた。しかし、間に合わなければ、1分だろうが、10分だろうが、同じ。足の悪い母に促されて私だけがひと足早く病室に駆け込んだとき、既に父は呼吸を止めていた。傍らには、呆然と佇む看護師。ほどなく母が到着。ベッド左手のいつも母が父と語り合っていた場所に母を誘導。母は何かを言ったのだろうか。それに対し、看護師は何かを答えたのだろうか。そして、私は何かを言ったのだろうか。一切、記憶がない。ほどなく、担当医が到着。死亡宣告。9時56分。死亡診断書に曰く「死亡の原因I　（ア）直接死因　肺炎」「死亡の原因II　直接には死因に関係しないがI欄の傷病経過に影響を及ぼした傷病名等　胃癌」。</font><br /><br /><font face="HiraKakuPro-W3">本日、弊サイトの営業を再開します。1月4日の午前、父が贈ってくれた言葉を胸に。「俊之は本屋をがんばれ。オレもがんばるから」……。</font></div> ]]></description>
      <pubDate>Mon, 18 Jan 2010 09:00:00 +0900</pubDate>
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      <title><![CDATA[Inspector West takes charge... ]]></title>
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      <description><![CDATA[<div><font face="HiraKakuPro-W3">今日のお題も入り口はやっぱりEd McBain。1990年、早川書房は87分署シリーズの40作目『ララバイ』の刊行に合わせ、Ed McBainを日本に招待、東京、大阪、京都でサイン会などの各種イベントを開催。また、来日に合わせ『ミステリマガジン』でもエド・マクベインを特集（1990年12月号）。特集の目玉は、ジョン・Ｃ・カー（John C. Carr）によるインタビュー「エド・マクベインに聞く——人気作家の創作の秘密」。この中で、Ed McBainはインタビュアーの質問に答える形でこんなことを語っている（冒頭の「C」がJohn C. Carr、「M」がEd McBain）。</font><br /><div style="font-family: HiraKakuPro-W3;"> <blockquote> <b>C</b>　現在のイギリスとアメリカのミステリのちがいはなんだと思いますか？<br> <b>M</b>　わからないね。ジョン・クリーシイは警察小説、ギデオン警視シリーズを書いていたな。あれはスコットランド・ヤードの話で、舞台はロンドンに限られていたが、アメリカ的センスがはっきりとあらわれていると思った。でも、わたしにはわからない。ミステリの専門家じゃないからね。<br> </blockquote> <a href="http://paperbackwarehouse.jp/search.php?cl=INSPECTOR+WEST"><img src="http://paperbackwarehouse.jp/images/05615.jpg" width=154 height=263 alt="The Beauty Queen Killer" style="float: left; margin-right: 10px; margin-bottom: 10px;" class=bordered border=0></a>実は、Ed McBainはこのインタビューで「ほかの警察小説の作家から学べることはなにもない」として、「読んでも意味がない。ミケランジェロが弟子の絵を片目でちらりとしか見ないのとおなじようなものさ」とまで豪語しているのだけれど……その割には、訊ねられた訳でもないのにJohn Creaseyの名前を自ら持ち出し、「アメリカ的センスがはっきりとあらわれている」などと興味深い評価を披露。もしかしたら相当、John Creaseyを読み込んでいる？　実際、それまで一般にはEvan Hunterという名前で知られていた彼がEd McBain名義で87分署シリーズの第一作（Cop Hater）を書いたのは1956年。しかし、John Creaseyがロジャー・ウェスト警部を主人公とする警察小説のシリーズを生み出したのはそれよりもずっと早い1942年。さらに、「それを発展させた」（権田萬治監修『海外ミステリー事典』）ジョー・ギデオン警視を主人公とするシリーズをJ. J. Marric名義で書きはじめたのは、1955年。87分署シリーズ誕生の正に前年。<br> <br> このJohn Creasey/J. J. Marric、20を超える筆名を使い分け、ミステリ、スリラー、ロマンス、ウェスタンなどジャンル横断で600冊（決して入力ミスではありませんので。念の為）を超える著書を世に送りだした「怪物的作家」（『海外ミステリー事典』）。CWAの初代会長を務め、CWA新人賞（John Creasey Memorial Award）にその名前を残すなど、斯界の大御所には違いありませんが、今日ではそのほとんどの作品はout of print（<a href="http://www.johncreasey.co.uk/" target="NewWindow">こちら</a> のサイトの記述を借りるなら“Once sold in millions many John Creasey books are now surprisingly hard to find. ”）。そんな警察小説の原型、Ed McBainも研究した（に違いない）、John Creaseyの<a href="http://paperbackwarehouse.jp/search.php?cl=INSPECTOR+WEST">Inspector Westシリーズ</a> は、エヘン、弊サイトに在庫、あり……。<br> </div></div> ]]></description>
      <pubDate>Fri, 25 Dec 2009 10:47:48 +0900</pubDate>
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      <title><![CDATA[It was Christmas day, and... ]]></title>
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      <description><![CDATA[<div><font face="HiraKakuPro-W3">ヴィンテージとまでは言えないけれど、主に1970年代に刊行された87分署シリーズを中心とするEd McBainのペーパーバックが、まとまった数、しかもすこぶる良い保存状態で手に入ったので、これをクリスマスの週の目玉商品にしようと考えたのには、訳がある。そう、シリーズ第3作、The Pusher（『麻薬密売人』）の、あの最後の一行——「時は今、神の御子の生（あ）れ給いしクリスマス、世はなべてこともなし。」（中田耕治訳）が念頭にあったから。しかし……とんだ失敗をしてしまった。入手したのは、全部で30冊余り。その中から、ダブってるものや、コンデションに難のあるもの、 Richard Marsten名義で書かれた初期のノンミステリ等を省き、</font><font face="HiraKakuPro-W6"><b>目玉商品</b></font><font face="HiraKakuPro-W3">（うーむ）と言うのにふさわしいものをと見渡しながら、ハタと気がついた。あ、The Pusherがない！</font><br /><br /><font face="HiraKakuPro-W3">と言うような訳で、何のためのクリスマス企画なのか判らなくなったEd McBain特集ですが——いやいや、Ed McBainほど年末年始に読むのにふさわしい作家はいない！？　と、強引に締め括って、やっぱり最後はこの一行——時は今、神の御子の生れ給いしクリスマス、世はなべてこともなし（It was Christmas day, and all was right with the world.）……。</font></div> ]]></description>
      <pubDate>Thu, 24 Dec 2009 22:31:58 +0900</pubDate>
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      <title><![CDATA[Underneath the kitchen floor is... ]]></title>
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      <description><![CDATA[<div><font face="HiraKakuPro-W3">言われてみれば、そうかも知れないなぁ……。スタジオジブリのウェブサイトでメアリー・ノートンの『床下の小人たち』を原作とする『<a href="http://karigurashi.jp/" target="NewWindow">借りぐらしのアリエッティ</a> 』が次回作に決定するまでのディスカッションの一端が紹介されていますが、自身は「別の企画」を温めていたと言う鈴木敏夫プロデューサーが、頑として『床下の小人たち』を推す宮崎監督に「いま、なぜ、『床下の小人たち』なのか？」と問うた所、「宮さんは苦し紛れにいろんなことを言いだしました」。曰く——「この話の中に登場する『借りぐらし』という設定がいい。今の時代にぴったりだ。大衆消費の時代が終わりかけている。そういうときに、ものを買うんじゃなくて借りてくるという発想は、不景気もあるけど、時代がそうなってきたことの証だとも説明してくれました」。</font><br /><br /><div style="font-family: HiraKakuPro-W3;"> <a href="http://paperbackwarehouse.jp/search.php?f=title&k=borrowers"><img src="http://paperbackwarehouse.jp/images/06134.jpg" width=191 height=287 alt="The Borrowers" style="float: left; margin-right: 10px; margin-bottom: 10px;" class=bordered border=0></a>ただ、宮崎監督がそもそもこの作品に目を付けた動機にはもう少し別の側面もあったかも。というのも、そもそもこの企画、「その昔、宮さんの若き日に、高畑さんと一緒に考えた企画で、数えてみると、40年近くも前のことになります」。今から40年前と言えば、正に今、終焉を迎えつつある「大衆消費の時代」がはじまろうとしていた頃。今とは真逆の社会情勢。そんな時代に著された（1952年発表。同年、カーネギー賞受賞）人家の床下でひっそりと暮す小人の一家の物語。『英米児童文学辞典』（研究社）ではこの作品について——「この物語は第4作まで小人の一家と彼らを捕まえて見世物にしようとする人間たちの追っかけごっことしてつづいていくが、その姿には故郷を追われ、迫害される難民の姿を感じさせるようなきびしさがあり、この作品が現代の風圧に耐えて評価されていることを裏づけるものである」。うーむ、「迫害される難民の姿」かぁ。どうやらこの小説、歴とした「戦後文学」……。<br> <br> そう言えば、当地では現在、某テレビ局が「<a href="http://www5.knb.ne.jp/hotta/" target="NewWindow">堀田善衛展　スタジオジブリが描く乱世。</a> 」（来年1月、高岡市美術館で開催）なるイベントのCMを1時間に一度ぐらいの頻度で流しまくっていますが（何でも「開局50周年記念事業」とか）、これ、スタジオジブリが「『堀田善衞作品のアニメーション映画化を試みる』という<b>仮想のもとに</b>」（つまり、具体的に堀田作品のアニメ化の計画があった訳ではない？）描いたイメージ・ボード等を展示した神奈川近代文学館の08年の<a href="http://www.ghibli.jp/10info/005411.html" target="NewWindow">企画展</a> の地元への凱旋（堀田善衛は富山県射水郡伏木町、現在の高岡市生まれ）。戦後文学を代表する作家のひとりである堀田善衛と宮崎駿。この一見、ミスマッチとも思える組み合わせ。しかし、宮崎監督にとって「堀田さんは、海原に屹立している巌のような方だった。潮に流されて、自分の位置が判らなくなった時、ぼくは何度も堀田さんにたすけられた」（堀田善衛『時代と人間』帯）。よーし、この年末年始は、久しく積ん読状態の堀田善衛に挑戦してみるか（あれ、メアリー・ノートンは？）……。<br> </div></div> ]]></description>
      <pubDate>Thu, 17 Dec 2009 22:55:33 +0900</pubDate>
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