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乱歩・ぷろふいる・井上良夫
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いきなりですが、ハウスルック(house look)ということばをご存知でしょうか? ぺーぺーバックの版元が、自社の出版物を際立たせようと工夫していった結果、一見してそれと分かるような特徴を身につけるに至った――そうした特徴的な出で立ちのことを、ハウスルックといいます。

The Glass Key
Farewell, My Lovely
Red Harvest
Phantom Lady
The High Window

ここに示したPocket Booksのデザインなどはその典型。ちょうど額縁のようにカバーの縁を長方形の枠が囲み、その中にさらに窓のように角の丸まった枠が覗く――。1942年から1945年にかけて出版されたPocket Booksに採用されたのがこの“ハウスルック”。デザインは当時、Pocket Booksに在籍したLaura Hobsonという女性デザイナーのアイデアであったとされますが、そうした提案を受け入れ、それまでの“corny(野暮ったい)”な同叢書のデザインを一新し、ペーパーバック草創期を代表する“ハウスルック”を作り上げた人物こそ、1942年に同社のアート・ディレクターに就任したEd Rofheart。それまでは、主に広告畑で腕を振るっていた人物。

そのEd RofheartはPocket Booksのアート・ディレクターに就任するにあたって何人かのデザイナーをスカウト。そのひとり、Leo Mansoは、上に紹介した中ではDashiell HammettのThe Glass KeyやWilliam IrishのPhantom Ladyのカバーデザインを担当。その特徴として挙げられるのは、シュールレアリスムの影響が見受けられることか。特にPhantom Ladyのカバーはそれが顕著に表れた例。これは、Bauhousの流れを汲むアーティストで、当時、アメリカに亡命を余儀なくされていたHerbert Bayer(ヘルベルト・バイヤー)の影響を受けたもの――と、これはPiet SchreudersのPaperbacks, U.S.A.にある一節。ま、これ以上書くとボロが出そうなので、知ったかぶりはここまで。

ともあれ、Ed Rofheartの下で十二分に才能を発揮し、まだ誕生して間もなかったPocket Booksのイメージを決定づけるような作品を数多く発表したLeo Manso。彼がPocket Booksのために絵筆を振るったのはごく短期間にとどまりますが、彼自身は、当時のことを振り返って相反するふたつの感想を述べています。ひとつは、当時のPocket Booksの上層部がいかにオープンであったかという証言。再びPaperbacks, U.S.A.から引くと――。
They were much more open to other people's ideas. If you can get 10% of your idea approved today you're lucky; back then you could realize at least 50% of what you thought up, which was reasonable.
もうひとつは、当時の自らのアートワークに対するちょっと辛口のコメント。
Looking back at them, I think those covers were rather banal, but at the time they were really something. There weren't many people doing that kind of work, so it seemed very exciting. But when I look at it now I think, my God, did I do that?
私自身は、Leo Mansoのアートワークが、すでに60年という時の経過にさらされながら少しも“banal(凡庸)”という印象を抱かせないことに驚いているくらい。むしろそこには、今なお色褪せることのない本物の何か(they were really something)があると今、彼のイラストレーションを戴いた何冊かの Pocket Booksを前にしつつ、感じているところ。

そんなLeo MansoとともにEd RofheartがPocket Booksにスカウトしたアーティストがもうひとり。その名は、Edward McKnight Kauffer。本来はポスターアートの分野でその存在を知られたアーティストだったそうですが、1944年、Ed Rofheartの求めで同社のペーパーバックのカバーイラストを手がけるように(代表作はRaymond ChandlerのThe High Window)。もっとも、彼が同社でカバーイラストを担当するのはごく数点にとどまることとなるのですが――。

AIGA(米国グラフィックアート協会)のHPにある彼についての評伝を読むと、Kaufferは若くしてアメリカを捨て、アートを学ぶためにヨーロッパに渡航。ちょっと今では信じられないことですが、当時のアメリカは決して世界の中心ではありませんでした(もっとも、この世のどこかに“世界の中心”などというものが存在するとは私は決して思わないのですが)。いわゆる「失われた世代」とは、ちょうどこの時期、アメリカからドロップアウトしてヨーロッパに滞在していた若い作家たちを指す言葉。E. M. Kaufferは1890年生まれとのことですから、ほぼErnest Hemingwayと同い年。いわば「失われた世代」に属するアメリカ人のひとりということ。

そんなKaufferはパリでアーティストとしての素養を身につけた後、イギリスに渡り、ロンドン地下鉄道(The London Underground)でアートディレクターを努めるなど活躍。このロンドン時代に関しては、現在もネット上で多くのリソースを見つけることが可能。とりあえずLondon's Transport MuseumのHPにリンクを張っておきますので興味のある方はどうぞ。その後、1940年にはアメリカへ帰国。理由は、第2次世界大戦に突入した母国にアートの面から協力するためだったとか。事実、彼は多くの戦争ポスターを手がけて母国の戦争推進に協力したとのことなのですが、詳細は不明。その後、1944年、Ed Rofheartの求めにより、Pocket Booksのペーパーバックのデザインを手がけるように。

ただ、そんな彼がPocket Booksのために残したデザインがわずか数点にとどまったのはなぜか。これについては確たる情報がなく想像するしかありませんが、そもそも彼をPocket Booksに招き入れたEd Rofheartは1942年に同社のアートディレクターに就任するものの、1945年には退任。またこの当時、Kaufferと同じくRofhertの招きで同社でデザインワークを担当していたLeo Mansoもほどなくブックデザインの仕事から身を引いていることを考えれば、Ed Rofhert以後の同社の方針がKaufferやLeo Mansoの作風を受けいるれようなものではなかったということことも考えられます。事実、Paperbacks, U.S.A.には、Leo MansoがSol Immerman(Ed Rofheartの後任としてPocket Booksのアートディレクターに就任した人物。それ以前はPopular Libraryに在籍)について語ったこんなコメントが――。
Ed Rofheart always gave me a lot of room to play around it, but Sol Immerman had definite ideas about what he wanted. (...) In my opinion, he always wanted to add a touch of sex to everything. Now, that was not my forte, and I think it was about that time that I quit.
この時期、アメリカのペーパーバック業界は、ほどなく訪れる黄金時代に向かって全力疾走。各出版社はひたすらセンセーショナリズムを追い求め、より派手に、より饒舌に、よりセクシュアルにと突き進んで行きます。そんな中、The High Windowのカバーイラストに見られるような“symbolic imagery and sparse selling copy(前記AIGAの評伝)”を特徴とするKaufferのアートワークがマーケットの要求に応えるものではなかったのは明らか。あるいは、こう述べることも可能か。アメリカン・ペーパーバックの60年を超える歴史をふり返った時、Ed Rofheartがアートディレクターを務めたPocket Booksの3年間がむしろ異質なのだと。Leo Mansoが述べたように「考えたことの50%は実現させることができた」時代(たかが50%と言うなかれ。イチローでさえ打率は4割未満)。しかも、それは第2次世界大戦という戦時下の3年間(!)。

なお、Edward McKnight Kaufferは1954年、64歳の若さで死亡。AIGAの評伝によれば、T. S. Eliotとミシシッピ川を船で旅をする計画の最中だったとか。その死を評して友人たちは“酒による自殺”と語ったとか……。

※ このコラムは当サイト併設の「読み古し『紙表紙本』の倉庫的Blog」2005年1月6日、7日付けエントリを再構成したものです。

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